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書 名危機の結晶
作 者岡田隆彦
出版社イザラ書房
シリーズ-

memo
【抄・序】


【目次】
p5…はんらんするタマシイの邦−イヴ・タンギーの難破譚
p45…機械の着想
p109…小市民的芸術観の陥穽
p121…物体思考の変遷
p141…同棲した芸術とテクノロジー
p167…極楽浄土もデザイン次第
p187…実像と全体性を求めて
p225…根源からあふれでるもの
p261…虚像が行為を促すために
p303…娑婆で見た瀧口修造
p315…移行する物神
p335…大系を拒絶する光
p343…新しい空間認識をめぐって
p369…おぼえがき


【本文】
p165
これらの催しや試みは、テクノロジーの適用を冒険的な精神と結びつけ、獲得された効果に忠実な反応を出発点として、新たな環境に生成しつつある現実を回避することなく、幻想でしかない陳腐な芸術の破棄と回生にいたる道をほのめかす。それが奏功するのは、電気テクノロジーの特徴をどのように創造的な領域に転位するかという問いに十分答えられるときだろう。マルクーハンは、今日の状況をつぎのようにとらえている。「オートメーションは、操作を断片化したり分離する機械の法則を拡張したものではない。それはむしろ、電気の即時的な性格によって機械の世界が侵略されることだ。だからオートメーションに包み込まれている人たちが、それが行動の一方法であると同じほど思考の一方法であると主張するのである。多くの操作を即時に同時継起させることが、線的な連続において操作をしたてる昔の機械的パターンに終末をもたらしたのである。」
 鋭敏な芸術家たちは、マルクーハンが論理的に把握したところのものをとうぜん至極のものとして、発想の発条と化し、今日の状況ないし環境のすべてをあばき、結果的にテクノロジーの絶大な権能と拮抗しうる想像力をもって、現実のただなかに、口ではなくヴィジョンをさしはさむことだろう。
 そのヴィジョンはいったいどんなものであるか。たぶん、それは、懐古趣味をうちすてながら、自然の原質を機械化し、人間の行為に関して能産的な働きをもつような現実のあり方を未来に投写するものだろう。電気テクノロジーによって、われわれの生活が本当に汎地球的な共通感覚をもつのだとしたら、バックミンスター・フラーがいうように、テクノロジーやオートメーションそのものがたいせつなのではなく人びとが互いにどんな関係を結び、いかに幼年時代の純粋無垢な世界をとりもどすかという課題に答える独創的な見解とその遂行こそがたいせつなのである。幼年時代の純粋無垢な世界は、人間の自発性をぬきにしては考えられない。人びとの自然な意識と隔絶したテクノロジーの急速な進展は、かえって人間の自発性を抑えつけてしまう。そのような事態にあってなお芸術の自律性を主張する人は、いったいどんな事態に出会えばおのれの幻想に痛めつけられるのだろうか。過去のことではなく、今日と明日のことである。

【後記・他・関連書】


【類本】
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