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書 名オデッセイ
作 者ホーマーの子孫/稲村健三訳
出版社浪速書房
シリーズSweetBooks-A-22

memo
【抄・序】
序章
 かのギリシャの哲学者、アリストートルの書翰につぎのような一節があった。
『ホーマーは、ある事件を契機として、オデッセイおよびイリアッドの二代長篇叙事詩を作成した』
 さてその事件とは何であろうか。
 それから長い間、歴史家および文明評論家は、
『イリアッドは単にトロイ戦争の末年を叙述したものであり、オデッセイは、ユリシーズが西海を漂泊した巡航の記録に過ぎない』
 と、注釈することによって、この事件に対する解明の責任を逃れてきた。現実に伝わる二書を読めば、これ以外の解釈法はなかったのである。
 ところが十九世紀になって、トルコの硯学、文学博士翰林院会員アブヅル・クアジ教授が、初めて旧来のその説に異説を唱えた。
『アリストートルの文章の一節こそ、ホーマーの秘密を解く重大な鍵である。彼は我々の知らないイリアッドとオデッセイが、いま一つ別に存在することに言及しているのである。このギリシアの哲学者は、これらの作品に、全然別の真実のものがあることを知っていたのである。事実古代においては、王侯貴顕紳士の宴席や、詩のコンテストなどでは、決して謡われない、ある種の俗謡があった。それは一般庶民である、水夫達、場丁達、商人達の間にのみ謡われ保存されてきたのである。したがってホーマーの吟遊歌謡にも、従来の古典と称せられるものとは全然違った卑猥なものが存在していたとしても、むしろ、それは当然であろう。しからばアリストートルが言及し、俗謡の根底となった事件とは何か。それはむしろギリシア語の活躍名詞の読み違いであって、事件ではなく行為のことであり、行為とは、古代から男性にもっとも愛されていた行為、すなわち性の行為なのである』
 アブヅル・クアジ教授は、彼の浩澣なる著述『俗謡としてのオデッセイの翻訳について』─ボスフォラス科学出版叢書─において、アリストートルの説を、このように批評している。
 彼はその証明として、ガラリア王ヘドロが、自分の子供達にオデッセイを読むことを禁じた事や、ギリシアの学者アリストファネスが公文書翰の中で、
『予はホーマーを読むに耐えない』
 と、書いた言葉を引用している。
 確かに、これら両者の態度は、古代から有益な長篇叙事詩と見られていた、ホーマーに関する一般人の態度とは相反するものであり、歴史家にとっては、不思議なことと思われていたことなのである。
──それにもかかわらず、アブツル・クアジ教授の説は、西欧一般の古代ギリシア文化研究者達によって認めるところとはならなかった。
 ところが時代はまた百年ばかりたった。1940年(昭和15年)の六月三十日のことである。
 バルカン半島クロアチア共和国国立大学史学部の、ヴィルギリ・フォン・トフィオス教授は、北アフリカのトリポリ地区のガザにおいて、史料発掘中、エジプト語で誌された古文書を発見した。
 それが西海を漂泊したユリシーズの冒険談であるオデッセイを、新しい光明の下に置くことにした。
 この古写本の文体は、古典的なオデッセイの文体と完全に同一であった。
 ただ、そこには、男性および女性の性の部分に対する卑語がやたらに多く用いられているだけである。
 ヴィルギリ・フォン・トフィオス教授は、それを読むと、即時、アテネにある、古代ギリシア文化研究所にあて、打電した。
 電文はつぎの通りであった。
『アブツル・クアジ教授の説は正論なり。予はいま、かつてギリシアの哲人アリストートルの言及せる、オデッセイの好色原文の古写本を発掘せり。予はただちにそれを写真複写にして、貴下に郵送せんとす』
 しかし、不幸にして、教授の仕事は、ドイツ騎甲師団の北アフリカ駐屯によって中断されてしまった。しかもそれだけでなく、猛将ロンメル将軍はトリポリ地区に侵入したとき、教授がユダヤ系の血筋をひいた学者であることによって、スパイと認定し銃殺にしてしまった。
 後に、読書好きの大学出の下士官が、その古写本を土民の手から十マルクで買い、意外な内容にびっくりして、ロンメル将軍に呈上した。
 それを見てロンメル将軍は教授を銃殺にしたことをはなはだ悔いた。そしてその文献が、世界的国宝であることを認識し、ヒトラーの下に送った。
 独身者のヒトラーは好色文献の収集家でもあり、同時に一度所蔵したら、絶対に他に出さないのでも有名であった。
 当時ギリシアのアテネに集まっていた学者達は、これでその文献がヒトラー一個人のものになったことを知り、ふたたび世に出ぬことを知って、ホッと一息ついたのである。
 やがて、ロンメルはヒトラーに毒殺され、ヒトラーもまた連合軍の包囲にあって、愛人エヴァ・ブラウンとともに自殺した。
 この本はまったく分からなくなった。
 しかし、海外から秘かにこの本の行方に目をつけていた学者があった。
 かの有名な性研究家アメリカのキンゼイ博士である。キンゼイ博士はその代理人の一人を終戦後のヨーロッパに派遣させ、戦車騎甲師団の残存兵や、ロンメル将軍のゆかりの者をさがして国内外をさぐらせた。
 しかし、その古写本の行方は分からなかったが、ある知識だけは得た。
 それは、ヴィルギリ・フォン・トフィオス博士の銃殺に立ち会った一士官の口から、真実はかなり違ったものであることが分かったのである。
 博士は処刑前に、その古写本を現代エジプト語に翻訳してしまう余裕をあたえられたが、処刑後ロンメル将軍はさらにそれを、トリポリの一書記生に命じてドイツ語に翻訳させて、ヒトラーに一部、自分が一部所蔵したというのである。
 そこでキンゼイ博士派遣の代理人アーベルオーマンダー氏は、すぐこのトリポリ人書記生の捜査方法と行方を訪ね始めた。しかし、その調査の途中で、不幸にしてキンゼイ博士は早死にをして、その代理人は心ならずも、費用その他の点で調査を打ち切らねばならなくなった。そして事件はいったん、闇から闇へ葬られた。
 しかし、ここで諸君にかのアイヒマン事件を思い浮かべていただきたい。


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