| 書 名 | 意識産業 | 
| 作 者 | エンツェンスベルガー/石黒英男訳 | 
| 出版社 | 晶文社 | 
| シリーズ | 晶文選書-20 | 
| 【抄・序】 | 
| (帯より) 現にある支配関係を永遠化しようとする意識産業の搾取的本質を告発し原論の自由への考察を深めた話題作  | 
| 【目次】 | 
| p7…意識産業 p21…タマゴ踊りとしてのジャーナリズム (ドイツのためのある日刊紙の記述) p89…「シュピーゲル」のことば p129…破片の世界(あるニュース映画の解剖学) p164…消費財としての教養(ポケットブック生産の分析) p205…消費者の国民投票 p221…旅行の理論 p255…訳注 p260…訳者あとがき  | 
| 【本文】 | 
| 意識産業 p11 ぼくらは、あいかわらず、教育プランとか学校制度、教師の不足とか複式学級などについて論争している。しかし、そのあいだに、学制改革についてのどんなオシャベリも、アナクロニズムと化してしまうような技術的手段が、とっくに、できあがってしまうことだろう。 p13 産業化の経済過程は、最後の前提、つまり技術的前提を、いわば自動的にもたらす。 この前提は意識を産業的に誘導せずにはおかない。 p15 問題は、意識産業が国営か、公営か、私営かということではなく、それがうけおっている社会的な委託の内容なのだ。 この社会的な委託は、こんにち程度の差はあっても、もっぱら、どこでも同一の内容を持つ。 −つまり、どんな種類のものであろうと、現に存在する支配関係を永遠のものにするという課題である。 意識産業は意識を搾取するために、ひたすら意識を誘導しなければならないのだ。 破片の世界 p133 時事性というのは、ミクロな歴史概念である。つまり、ある一定の「まえ」と「あと」の歴史をもつ出来ごとがアクチュアルなのだ。 消費財としての教養 p202 これまでの歴史をみれば、読者というものは、つねに少数者としてとどまる存在にすぎないことがわかる。  | 
| 【後記・他・関連書】 | 
| 【類本】 | 
| 4-b3091-2520-b/ 4-b3091-2620-b/  |